こんにちは、夢頭(ユメガシラ)です。
私事で恐縮ですが、最近は憂鬱になることがめっきり少なくなったような気がします。
やはりサラリーマンを辞めて、さまざまなストレスから解放されたことが大きいのでしょう。
とはいえ、脱サラしたことで、逆に将来や収入の不安といった別の悩みが生じていることも事実です。
それでちょっと気になって原因を探ってみたところ、どうやら単純に「深く考えることが減った」だけのようです。
「これはちょっとヤバいかな?」とも一瞬思ったのですが、最近は「あまり深く考えない生き方も悪くない」と思い始めています。
果たして、こんな考えで大丈夫なのか?
今回はこの点について、書いていきたいと思います。
ついに人生諦めモードに突入ですか?
私が闘魂を注入して差し上げましょう!
ま、まぁ…、ちょっと話を聞いてください…。
あまり深く考えない生き方も悪くない
20代の頃の私が好きな言葉に、「ツラいのはちゃんと現実と向き合っている証拠だ」というものがありました。
何かの漫画かゲームのキャラクターの言葉だと思います(※当時は本などは一切読んでいなかったですし…)が、いい言葉です。
確かに現実から目を背ければ、一時的には楽になります。
一方、現実とちゃんと向き合うのは確かにツラいことですが、だからこそきちんと現実と向き合っている証拠でもあります。
正に悩み多き者たちへの人生のエールとなり得る、素晴らしい言葉と言えるでしょう。
それに比べて、現在の私はどうでしょう?
「深く考えていない(現実とちゃんと向き合っていない) → 楽だ → それも悪くない」
ほぼ真逆の考え方をしています…。
「楽だから」というのは百歩譲ってわかるとしても、「それも悪くない」とは一体…。
これでは、いつ机の引き出しから未来の自分が現れて、ぶん殴られるかわかりません(?)。
しかしそれでも、私は思うのです。
「あまり深く考えない生き方も悪くない」
と。
生きていればいずれ決断を迫られる時が訪れる
そうは言っても、私も一切考えないというわけではありません。
人生の岐路に立たされたような時は、さすがの私も真剣に考えます(というか、考えざるを得ないのでしょうが…)。
例えば、ハーゲンダッツの『抹茶味』を買うか『イチゴ味』を買うかで、毎回真剣に悩んでいます。
はぁ、そうですか…。
私が言いたいのは…、
「生きていればいずれ決断を迫られる時が訪れるので、その時に深く考えればいい」
ということです。
生きていれば重大な決断を迫られる時が、何度か訪れるハズです。
その時にじっくりと現実と向き合い、深く考えればいいのです。
要は、「常日頃から深く考えておく必要はない」と、個人的には思うのです。
「深く考えない」=「現実から目を背ける」ではない
もちろん「常日頃から深く考えない」というのは、ふだんから何もしないで快楽を追い続けたり、惰眠をむさぼり続けたりすることではありません。
常日頃からコツコツと努力を重ね、やるべきことはやっておく必要があります。
やはり重大な決断を迫られた時に物を言うのは、日々の努力です。
常日頃から現実と向き合ってあれこれ考えても、必要以上に不安が大きくなるだけです。
であれば、日々の生活ではあまり深く考えずに、黙々と努力を重ねて生きた方が断然いいでしょう。
決して「深く考えない」=「現実から目を背ける」ということではありません。
もちろん常日頃から現実と向き合うことで危機感を抱き、それを日々の努力のモチベーションとする生き方もあるかと思います。
実際、過去の私もそうしてきました。
しかし、どうやらそのやり方は私には合わなかったようです。
まぁ…、どちらが向いているかは人それぞれでしょうが、「深く考えない生き方」というのも案外悪くないものです。
まとめ:日々の努力をきちんと重ねていれば、最悪の事態にはならない
大した内容ではないですが、今回は以上です。
いくら深く考えても(現実と向き合っても)、どうせ先のことはわかりません。
であれば、「まぁ、何とかなるでしょ」という考えで、気楽に生きるのもいいのではないでしょうか?
なぜなら、日々の努力をきちんと重ねていれば、最悪の事態にはならないからです。
私はそう信じています。
これからも私自身、「ハーゲンダッツの『抹茶味』を買うか『イチゴ味』を買うか」という、人生の岐路に何度も立たされることでしょう。
しかし、日々の努力をきちんと重ねていれば、きっと乗り越えられると信じています。
もう、両方買えばいいじゃん…。
以上、またお会いしましょう。